「リアリズムの倫理」を発売


書籍タイトル:リアリズムの倫理
著者名:多田亮三郎
ジャンル:倫理学・道徳
発売日:2019/9/13
販売ページ:Amazon

著者コメント

あらすじ

私のまわりでは六人もの人間が自殺している。ここには親戚付き合いをしていた人も二人含まれている。一人は大学時代からの友人で、一人は彼のお母さんである。彼らの自殺を知らされたとき、頭が真っ白になって電話口で立ちすくんだのを覚えている。彼らはなぜ自殺したのか。はっきりした理由は今もわからない。ただ漠然と、過剰なストレスをかかえこんでいたのではないかと勝手に推測している。
人間の不幸の背景には必ずストレスがある。ストレスがいったん人間の心に巣くうと、心はむしばまれ、最悪の場合は死に至らしめる。ストレスが恐いのは、まわりにいる人間も巻きこんでしまうところだ。ではどうすればいいのか。ストレスを悪性腫瘍と考えて、転移する前にごっそり取り除けばいいのだ。世の中きれいごとでは何一つ解決しない。役立つのは迅速な行動だけ。それを仏教では毒矢の喩えという。毒がまわる前に毒矢を引き抜けという教えだ。毒矢とは死に導くストレスで、喫緊の場合に必要なのはあれこれ考えず毒矢をすぐに引き抜くこと。毒矢の毒を薄めたり、毒矢の苦しみを忘れさせるような甘ったるい手段では解決にならない。毒矢を引き抜き毒矢を放つ元凶を鬼の形相で一気に叩き潰す。生き残るにはそれしかない。そこで大切なのはぶれないこと。そのためには理論がいる。その理論を拙著では物語という。   
物語を演じて、ストレスの元凶が人間であれば、相手を皆の前で罵倒し、必要なら暴力をつかってでも徹底的に人間関係を破壊してしまう。それが毒矢を抜く最善の方法であると私はずっと信じてきた。そして実際に実行して多くの人間関係を失った。しかし後悔はしていない。不快な人間関係を失えば失うほどストレスがなくなり気分が爽快になるからだ。
倫理とは善悪を抽象的にあれこれ論じるものではない。そんな倫理なら無用の長物である。その程度のことは、きれいごとばかりいうおためごかしの教師や政治家やマスコミにまかせておけばいい。ではあらためてそもそも倫理とは何か。一般的には善悪を考えるものが倫理といわれている。では人間の善悪とは何か。私にいわせれば、ストレスを減らすものが善で、ストレスを増やすものが悪となる。損得でいえば、ストレスを減らすことが得で、ストレスを増やすことが損になる。ストレスの有無だけで損得を考える。それが不幸にならないための損得計算だと思っている。ストレスを減らすという生き方が広まれば、風通しがよくなり社会全体のストレスも減る。私はそう信じている。
今回も『リアリズムの学校』同様、私の分身でもある庄野先生と国方先生との鼎談によって倫理観を表わしてみた。この本は人間関係に悩むすべての人に捧げる本であり、この本を読んで少しでも気が晴れれば、これほどの喜びはない。

著者紹介

多田亮三郎(ただりょうざぶろう)
1947年徳島市生まれ。
1971年東京大学林学科卒業。1974年東京大学印度哲学科大学院修士課程修了。
1974年から1977年まで東京で会社勤務。1977年に大阪の府立高校の社会科教諭となり、2008年に定年退職。
その後4年間再任用教諭となり、2012年に退職。
退職後、職場論である『リアリズムの学校』(表現社)を刊行し、その後趣味論である『リアリズムの喫茶店』(アメージング出版)を刊行する。今回の『リアリズムの倫理』(日本橋出版)は鼎談三部作最後の幸福論となる。現在は、つげ義春風の漫画を描いている。