著者名:安田権寧
ジャンル:歴史
発売日:2024/4/23
販売ページ:Amazon
書籍概要
中国の皇帝・武則天に日本を認めさせた至宝の外交官
古代中国と東夷(倭)との間には豊かな交流があった。
儒教経典中の礼記で、孔子は、東夷(倭)について、万物の根幹であり、万物が生まれ出るところ、君子が居するところであり不老不死の国であると絶賛した。
秦の始皇帝は、儒家の徳治による統治ではなく、法家の厳格な法で統治したが、儒教の教養はあり、東夷には「君子が居り、不死の国である」という孔子の記録は知っていた。この認識が始皇帝の時の徐福の渡海につながった。
東夷・倭・日本と中国の漢から唐までの交流の中で、中国の史書に記録された日本人は、倭の女王・卑弥呼、唐の時代の遣唐使・粟田真人・阿倍仲麻呂等二三人いる。
百済滅亡後の白村江の戦いで倭国は史上初めて中国の王朝と戦い、国交が途絶えた。
遣唐執節使の粟田真人は唐との国交回復に尽力し、日本という国号を中国の皇帝・武則天に認めさせたが、唐書では真人のことを、「唐の宰相・尚書省の長官である尚書のようであり、進德冠を冠り、頂に華蘤(花)四本を挿し、紫の袍に帛(絹布)の帯。真人はよく学び、文を屬(書)き、その容止は温雅で偉容があった」と絶賛している。粟田真人の功績と中国の皇帝・武則天が絶賛した詳細を検証した。
著者紹介
安田権寧(やすだ・けんねい)
昭和54年東京大学法学部卒業(在学中は応援部・主将)
社団法人日本善行会理事(善行調査委員。平成17年退任)
学校・家庭インターネットコミュニケーション共同実験協議会事務局長代行(文部省指導の下、文部省OB、教育関係団体、IT企業で設立。CSK会長大川功氏が協議会会長。文部省、CSK、日立製作所等IT関係企業、日教組、日本PTA全国協議会等参加)
株式会社ビックカメラ取締役・執行役員・法務部長等を歴任。